移動が多いのは、結果的にそうなってしまっているだけである。それが旅という言葉に置き換えられたり、遊牧民という在り方に例えられたりするだけのことであって、きっと名前を付けるようなしろものではない。でも、どちらだって良い。生きるための行為に名前を付けることに意味なんてない。その日の自分の行動は、その日の自分に任せている。そういう自由さがあるけれど、当たり前に心拍数が落ちたり、萎縮した心身を抱えながら起きる朝がある。だからこそ「自由」と言えるのだろうか? これが「豊かさ」なのだろうか? すべてのリズムを余すことなく味わうという…